日本史

日本史の各出来事を地図などを使って紹介

化石人骨

1.港川人

港川人は、約1万7000年から1万8000年前に存在していたとされている人類。
1967年?1972年にかけて、沖縄県具志頭村(現在の八重瀬町)港川の海岸に近い石切場で石灰岩内から人骨が発見された。この人骨は日本人のルーツとされている。

身長は男性で約153から155cm、女性で約144cm。全体的に小柄で腕は細めで胴長なのに対して手は大きく、下半身がしっかりとしていたとされている。また、顎ががっしりしていて、硬いものも食べていたとされている。沖縄県立博物館に「港川人復元像」が所蔵されている。

港川採石場跡にある旧石器時代の遺跡を、港川人遺跡という。 沖縄県八重瀬町港川にある。


2.明石人

明石原人と言われ、戦前に日本で発見された化石人骨によりいたとされた古人類。発見されたのは腰の一部。原人と呼ばれるが、1960年代頃まで日本では国内で発見された化石人骨を、推定年代に関係なく原人と呼ぶ習慣があったためで、北京原人やジャワ原人とは異なる。

昭和6年(1931年)4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸において民間人の直良信夫が発見した。しかし直良が無学歴のアマチュア考古学者であったこともあり専門家には相手にされぬまま、化石現物は第二次世界大戦中の1945年5月の東京空襲で焼失してしまった。

戦後、化石現物から採取された石膏模型を調査した結果、「明石原人」であるとされた。しかし、1982年になり石膏模型をコンピューターで解析した結果、明石原人は現代人と呼んでもよい新しいものであると結論された。

なお発掘現場の海岸の地層調査などにより、旧人だったのではないかとする説もあり、化石人骨であった可能性は消えていない。

地図には明石人の発掘地に印をつけてある。


3.牛川人

牛川人は、1957年に愛知県豊橋市牛川鉱山で発見され、中期更新世人類と考えられた。 始めは女性の上腕骨の一部とされる骨だと考えられていた。

しかし人骨特徴を備えていなかったようである。2001年にお茶の水女子大学の教授がフッ素年代測定法で調査し、ナウマンゾウの骨であるとされた。よって今では人骨の可能性は低いとされている。

地図では大まかな場所として牛川町を指している。


4.浜北人

浜北人は1962年に静岡県西部の浜北市根堅(現浜松市浜北区根堅)の岩水寺採石場・根堅洞窟で発見された約1万4000年、旧石器時代の化石人骨。2002年に確認された。縄文人と類似していることから、その祖形と推測される。現在は東京大学の総合資料館に保管されている。

年代の特定は化石人骨では全国初となる炭素14法によって実施され、約1万4000年から1万8000年前のものであるとの測定結果が出されており、旧石器時代の化石人骨である事が確認された。

1960年から1962年にかけて、根堅洞窟の堆積より発見された。洪積世後期のものと推定され、骨の形態から新人に属するという。

地図には根堅遺跡の場所を大まかに記した。


5.三ヶ日人

1958年から61年ごろに、静岡県西部の三ヶ日町只木(現浜松市北区三ヶ日町只木)で、約9000年前に生息していたとされる三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見された。遺跡は三ヶ日人只木遺跡と言われる。

頭骨の断片が発見され、始めは新人段階のものとされていたが、今では放射性炭素法により縄文時代の人骨だとされている。

地図には三ヶ日人只木遺跡の位置を記した。


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