日本史

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三内丸山遺跡

三内丸山遺跡は青森県青森市で発見された縄文時代の集落跡。所在地は青森市大字三内字丸山。国の特別史跡に指定。遺跡跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料館もある。


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この遺跡は現在の敷地から、広場を囲むように住居が造られた環状集落であると見られることもあるが、住居が非同心円状に機能別に配置されているところから見て、それとは異なる形式であると考えられる。現在の遺跡の環状構造はかつて野球場建設の際、その敷地が円形であった跡であり、遺跡とは関係ないものである。遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かり、さらにはヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。それらは縄文時代の文化が従来考えられているよりも進んだものであることを示すものであった。遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、未だに全容は把握しきれていない。

近年、三内丸山遺跡は「縄文時遊館」などの建設などで景観が整った。しかしその一方、「遺跡らしさ」が失われたという意見もある。 そして、2010年開業の東北新幹線・新青森駅開業に伴う「三内丸山高架橋」の完成により、車内から遺跡を見渡せるようになると予想される。



大森貝塚

大森貝塚は、1877年(明治10年)にアメリカ人動物学者の動物学者であるエドワード・シルベスター・モースが発見した遺跡。品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。

モースは、横浜から新橋へ向かう列車の窓から発見し、発掘調査が行われた。日本で最初に研究のために発掘された遺跡なので、この発掘は日本の考古学・人類学の幕開けといわれている。大森貝塚の発見は縄文文化研究の契機となった。

大森貝塚は1955年に国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年に全て国の重要文化財に指定されている。

現在は、京浜東北線や東海道線の車窓から見ることができる位置に大森貝塚遺跡庭園となっている。大森貝塚遺跡庭園は、大森貝塚周辺を整備して作られ、日本の近代考古学発祥の地としてその歴史性を十分に生かした公園。公園内には大森貝塚を発見したモースの広場、貝塚体験広場、貝塚学習広場、縄文の広場などがある。 公園中央部には地層をイメージした回廊と霧を発生させる噴水がある。

大森貝塚遺跡庭園内と大森駅近くの2ヵ所に石碑がある。当初の発掘地点については、モースが明記しなかったことから品川区説と大田区説の2つの説が存在した。しかし今では、モースが主に調査したのは品川区の大森貝塚遺跡庭園内の方であり、大田区の大森駅近く方の遺跡は小貝塚であるとされる。

地図には大森貝塚遺跡庭園の位置を記した。



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