日本史

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古墳(2)

古墳時代は、以前では飛鳥時代と合わせて大和時代とも称されていたが、今日では別個に考えるのが一般的となっている。 また、王権を得るためには手段を選ばず、有力候補が自分の兄弟や異母兄弟であろうとも、奸計・策略をめぐらして倒すなどの激しい王権争奪戦が繰り返された時代でもある。他方、灌漑用水確保のための池溝の整備など大規模な開発も盛んに行われ、大土木時代でもあった。


1.箸墓古墳

箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており、3世紀中葉すぎの大型の前方後円墳である。

この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする邪馬台国畿内説もある。従来、構築年代が三世紀末から四世紀初頭であり、卑弥呼が死亡したする三世紀前半との時期にずれがあるため、その可能性は少ないといわれてきたが、近年、年輪年代法や放射性炭素法による年代推定を反映して、古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となっており、上記の箸墓古墳の築造年代は、研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年の248年頃に近い3世紀の中頃から後半と見る説が一般的になっており、箸墓古墳が卑弥呼の墓である蓋然性が高くなっている。

現在は、宮内庁により第七代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓として管理されており、墳丘への自由な出入りはできない。

2.石舞台古墳

石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。 昭和27年(1952年)3月27日、国特別史跡に指定される。

古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、その形状から石舞台と呼ばれていた。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。石室内部に排水施設がある。約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると推定されている。

盛土の上部が剥がされているため、その形状は、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されている。また、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83m、東西81m)をめぐらした壮大な方形墳であるという。外提の北西隅の外には刳坂(くりぬき)石棺を納めた横穴式石室があり、陪塚であろうと推測されている。

3.誉田山古墳

誉田(御廟)山古墳は大阪府羽曳野市に所在する古市古墳群の中心となる古墳。 420メートルの墳丘の長さは、百舌鳥古墳群の大仙陵古墳に次ぐ巨大前方後円墳である。

5世紀末から6世紀初頭の築造と考えられている。立地条件は、必ずしもよいとは云えない。それは、土質の安定した段丘と不安定な氾濫源という異質の土地にまたがって墳丘を造営しているためという。 また、造営前から二ツ塚古墳が存在しており、それを避けるように造ったため、周濠と内堤が歪んでいる。

現在宮内庁によって応神天皇の陵墓に指定されている。外濠外堤跡は国指定の史跡となっている。

4.大仙古墳

大仙(陵)古墳は、大阪府堺市堺区大仙町にある百舌鳥古墳群の古墳の一つで、日本で最大の規模を誇る前方後円墳である。また、墓域面積は世界最大である。この古墳の役割の一つとして、海から見える前方後円墳であり、船から見える目印としての前方後円墳であることが考えられている。

宮内庁によって仁徳天皇の陵墓として管理されており、陵号は百舌鳥耳原中陵。一般的には仁徳天皇陵と呼ばれる。

エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び世界三大陵墓の一つに数えられている。

現状、歴史の教科書に「世界最大級の墳墓」として掲載され、堺の主要な観光地となっているが、宮内庁の管理方針のため陵域内への自由な出ち入りはできない。最も墳丘に近づけるのは正面の拝所で、二重濠の外側堰堤まで立ち入ることができる。

考古学的には仁徳天皇の陵であることに否定的な見解が唱えられているが、築造時期が5世紀中葉?後葉との見方が確定することによって、文献史学上で想定される仁徳天皇の活動時期に近づくとする見解もある。ただし、宮内庁が調査のための発掘を容認していない現状において、学術上からここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能であることから、現在では教科書などを含めて「仁徳天皇陵」との呼び名は用いられなくなっている。

5.岩橋千塚

岩橋千塚古墳群は、和歌山県和歌山市岩橋に所在する古墳時代後期後半の古墳群である。 国の特別史跡に指定されている。

紀伊国造集団の関係する古墳群である。約600基の古墳からなり、北方の鳴神地区には花山支群が、南方の岡崎地区には井辺八幡古墳支群がある。また、西方の宮地区には紀国造家が祀る日前・国懸神宮がある。そのうちの一番大きな前方後円墳の天王塚古墳が紀伊国造の紀直の古墳である。

現在は、古墳群周辺65ha全体が博物館として整備されており、保全と共に一般に公開されている。


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古墳

古墳時代とは、3世紀中葉から6世紀末葉までの約300年間にわたって前方後円墳が北は東北から南は中部九州まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の世紀ともいわれ、その終末期にも方墳・円墳、群集墳などが築造され続けていた時代である。


1.稲荷山古墳

稲荷山古墳は、埼玉県行田市のさきたま古墳群内にある古墳。1968年の発掘調査で、金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が後円部分から発掘される。1978年、この鉄剣に115文字の金象嵌の銘文が彫られていることが判明。国宝に指定される。鉄剣は471年に製作されたと推測されているが、一部では531年説もある。

墳丘長120メートル
後円部径62メートル・高さ11.7メートル
前方部幅74メートル・高さ10.7メートル
二重の周濠を持ち、埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である。 その造営年代は、古墳時代後期の5世紀の第4半期と考えられている。さきたま古墳群中では最初に築造された。

2.吉見百穴

吉見百穴とは、埼玉県比企郡吉見町にある横穴式の集合墳墓である。国指定史跡。 現在、観光施設として有料で公開されている。

凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いており、一見しただけでも異様な印象を受ける遺跡である。穴の数は219個と言われ、このような遺跡としては日本一の規模である。

発掘は明治時代に行われ、当時は穴居時代の小柄な先住民族「コロボックル」の住居という説もあったが、多くの穴に古墳と同様の台座状の構造があり、ここに棺桶を安置した集合墳墓という説が大正時代以後に定説となっている。なお、台座は穴により複数存在することもあり、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられている。

また、下方にある穴の中には、ヒカリゴケが自生している穴がある。関東平野でヒカリゴケが自生している箇所は非常に貴重であり、これは天然記念物に指定されている。

3.造山古墳

全国第4位の規模を誇る、全長360メートルの前方後円墳。

1号墳は一辺60mの古墳時代前期のもので、この時代のものとしては全国でも最大級の方墳である。1936年、1938年に竪穴式石棺が次々と発見された。副葬品には三角縁神獣鏡、方格規矩四神鏡、紡錘車型石製品、ガラス製管玉、鉄刀、鉄剣、刀子などが発掘された。

自由に墳丘に立ち入って見学できる古墳としては最大である。

4.岩戸山古墳

岩戸山古墳は、福岡県八女市八女古墳群にある岩戸山とよぶ前方後円墳。全長約135m、後円部径約60m、前方部幅約90mの前方後円墳であり九州地方最大級である。

また古墳は東西を主軸にして前方部が東にあるが、その北東部分に「別区」と呼ばれる広場状の区画がある。風土記逸文にいう、石人や石猪が配置されていた場所であると目されている。

墓からは、大量の石人、石馬が発掘され、磐井氏の繁栄ぶりを示している。6世紀後半、北部九州を支配していた筑紫国造磐井の墓と目されている。

5.江田船山古墳

江田船山古墳は、熊本県玉名郡菊水町に所在する清原古墳群の中で最古・最大の古墳。

全長61メートルの前方後円墳で、横口式家型石棺が検出され、内部から総数92点にも及ぶ豪華な副葬品が検出された。この中に全長90.6センチメートルで、茎の部分が欠けて短くなっているが、刃渡り85.3センチメートルの大刀があり、その峰に銀象嵌の銘文があった。字数は約75字で、剥落した部分が相当ある。おおよその内容は推察できるものの、今一つはっきりしたところがつかめない。


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