長野オリンピック
長野オリンピックは、1998年2月7日から2月22日まで日本の長野市とその周辺を会場にして開催された20世紀最後の冬季オリンピック。冬のオリンピック開催地に限定すれば最も南で開催された都市として話題を呼んだ。日本ジャンプ陣(日の丸飛行隊)が活躍した。閉会式の司会は萩本欽一が担当した。
1991年にイギリス・バーミンガムで行われたIOC総会でアオスタ、ハカ、エステルスンド、ソルトレイクシティを破り開催地に選ばれた。
長野オリンピックの開会式は、2月7日午前11時から長野オリンピックスタジアムで行われた。総合演出は劇団四季の浅利慶太が担当。善光寺の鐘の音を合図にスタートした。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱曙の土俵入りが行われ、森山良子と子供たちが共演でテーマソング「明日こそ、子供たちが…」の歌声を披露した。
屋外競技は、全体的に悪天候に悩まされた大会であった。アルペンスキーは競技日程が大幅に変更される事態にもなった。
・アルペンスキー
男子滑降が行われる予定だった大会2日目から悪天候が続き、競技日程が大幅に変更され、大会10日目の16日には、男子スーパー大回転、女子滑降、女子複合滑降の3レースが同日実施されるという強行日程もとられた。5日遅れで開催された男子滑降では、出場45人中15人が失格・途中棄権となり、うち14人がコース上の同じポイントで失敗をした。スタート地点問題でコースが一部変更になったことに伴いできたポイントである。この場所で、このシーズンのワールドカップ総合1位を独走していたヘルマン・マイヤーが大転倒をし、アルペンスキーを見慣れない日本の観衆に大きな衝撃を与えたが、マイヤーはその3日後に行われたスーパー大回転で優勝、さらに大回転でも優勝し、この大会の象徴的選手の1人となった。
・ノルディックスキー
ジャンプ競技は、日本勢がシーズン当初から好調で、大会前から札幌オリンピックの日の丸飛行隊の再現が大きく期待された。結果、金2個、銀1個、銅1個と大活躍した。クロスカントリー男子15kmクラシカルでは、ケニアから出場し、最下位ながらも見事完走を果たしたフィリップ・ボイトを、優勝したノルウェーのビョルン・ダーリがゴール地点で出迎えて健闘をたたえる一幕があった。
・スノーボード
スノーボードは、大回転とハーフパイプの2種目がこの大会から正式種目として採用された。最初のレースとなった男子大回転で、ロス・レバグリアティが最初、オリンピックチャンピオンになった。レバグリアティは競技終了後、ドーピング検査でマリファナの陽性反応が出たために、一旦はメダル剥奪が決定されたが、CASの裁定により処分は取り消された。
・スピードスケート
プレシーズンにスラップスケートが登場し、多くの選手がスケート靴を変えての大会となった。スラップスケートが特に威力を発揮すると言われた長距離種目では、エムウェーブの高速リンクと相まって、世界新記録が連発した。大会2日目に行われた男子5000メートルでは、メダリスト3選手全員が従来の世界記録を上回り、大会開幕を告げるレースとして十分な内容の展開となった。
・フィギュアスケート
この年、女子のフィギュアスケート界は2人のアメリカの選手が注目された。多様なジャンプとスピンを武器に14歳で全米選手権を制した15歳のタラ・リピンスキーと、柔らかく表現力豊かな演技をする17歳のミシェル・クワン。二人の対決はしばし「剛と柔」と表現され、この大会においても金メダルを争い、リピンスキーがナガノのヒロインとなった。リピンスキーは当時15歳8ヶ月だったため、ノルウェーのソニア・ヘニーを抜いて最年少金メダル記録を塗り替えた。その後オリンピックのフィギュアスケートでは年齢制限が設けられたため、この記録が破られることは非常に難しい。
・アイスホッケー
この大会からプロ選手の参加が認められ、北米アイスホッケーリーグ(NHL)所属の選手を数多く擁した6カ国がシードされた。その中でもアメリカとカナダが大きく注目され、両国の優勝争いとなると見られていたが、いずれも決勝に進めないという大波乱の展開となった。金メダルを獲得したのが、ゴールキーパーのドミニク・ハシェクを中心としたNHLのスター選手中心ではあったが、選手の半数は国内リーグや欧州諸国リーグ所属の選手だったチェコであった。NHL選手は1次リーグ参加国でもNHLの日程もあり、ほとんど2次リーグから出場した。
・フリースタイルスキー
モーグル女子種目では、里谷多英が優勝、金メダルを獲得した。これは日本女子選手が冬のオリンピックで初めて獲得した金メダルとなった。
長野オリンピックの開会式は、2月7日午前11時から長野オリンピックスタジアムで行われた。総合演出は劇団四季の浅利慶太が担当。善光寺の鐘の音を合図にスタートした。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱曙の土俵入りが行われ、森山良子と子供たちが共演でテーマソング「明日こそ、子供たちが…」の歌声を披露した。

屋外競技は、全体的に悪天候に悩まされた大会であった。アルペンスキーは競技日程が大幅に変更される事態にもなった。
・アルペンスキー
男子滑降が行われる予定だった大会2日目から悪天候が続き、競技日程が大幅に変更され、大会10日目の16日には、男子スーパー大回転、女子滑降、女子複合滑降の3レースが同日実施されるという強行日程もとられた。5日遅れで開催された男子滑降では、出場45人中15人が失格・途中棄権となり、うち14人がコース上の同じポイントで失敗をした。スタート地点問題でコースが一部変更になったことに伴いできたポイントである。この場所で、このシーズンのワールドカップ総合1位を独走していたヘルマン・マイヤーが大転倒をし、アルペンスキーを見慣れない日本の観衆に大きな衝撃を与えたが、マイヤーはその3日後に行われたスーパー大回転で優勝、さらに大回転でも優勝し、この大会の象徴的選手の1人となった。
・ノルディックスキー
ジャンプ競技は、日本勢がシーズン当初から好調で、大会前から札幌オリンピックの日の丸飛行隊の再現が大きく期待された。結果、金2個、銀1個、銅1個と大活躍した。クロスカントリー男子15kmクラシカルでは、ケニアから出場し、最下位ながらも見事完走を果たしたフィリップ・ボイトを、優勝したノルウェーのビョルン・ダーリがゴール地点で出迎えて健闘をたたえる一幕があった。
・スノーボード
スノーボードは、大回転とハーフパイプの2種目がこの大会から正式種目として採用された。最初のレースとなった男子大回転で、ロス・レバグリアティが最初、オリンピックチャンピオンになった。レバグリアティは競技終了後、ドーピング検査でマリファナの陽性反応が出たために、一旦はメダル剥奪が決定されたが、CASの裁定により処分は取り消された。
・スピードスケート
プレシーズンにスラップスケートが登場し、多くの選手がスケート靴を変えての大会となった。スラップスケートが特に威力を発揮すると言われた長距離種目では、エムウェーブの高速リンクと相まって、世界新記録が連発した。大会2日目に行われた男子5000メートルでは、メダリスト3選手全員が従来の世界記録を上回り、大会開幕を告げるレースとして十分な内容の展開となった。
・フィギュアスケート
この年、女子のフィギュアスケート界は2人のアメリカの選手が注目された。多様なジャンプとスピンを武器に14歳で全米選手権を制した15歳のタラ・リピンスキーと、柔らかく表現力豊かな演技をする17歳のミシェル・クワン。二人の対決はしばし「剛と柔」と表現され、この大会においても金メダルを争い、リピンスキーがナガノのヒロインとなった。リピンスキーは当時15歳8ヶ月だったため、ノルウェーのソニア・ヘニーを抜いて最年少金メダル記録を塗り替えた。その後オリンピックのフィギュアスケートでは年齢制限が設けられたため、この記録が破られることは非常に難しい。
・アイスホッケー
この大会からプロ選手の参加が認められ、北米アイスホッケーリーグ(NHL)所属の選手を数多く擁した6カ国がシードされた。その中でもアメリカとカナダが大きく注目され、両国の優勝争いとなると見られていたが、いずれも決勝に進めないという大波乱の展開となった。金メダルを獲得したのが、ゴールキーパーのドミニク・ハシェクを中心としたNHLのスター選手中心ではあったが、選手の半数は国内リーグや欧州諸国リーグ所属の選手だったチェコであった。NHL選手は1次リーグ参加国でもNHLの日程もあり、ほとんど2次リーグから出場した。
・フリースタイルスキー
モーグル女子種目では、里谷多英が優勝、金メダルを獲得した。これは日本女子選手が冬のオリンピックで初めて獲得した金メダルとなった。
エムウェーブ。長野オリンピックのスピードスケートの会場。


愛知万博(愛・地球博)
2005年日本国際博覧会は、2005年3月25日から9月25日まで、愛知県愛知郡長久手町・豊田市および同県瀬戸市の2会場で開催された博覧会で、21世紀最初の国際博覧会(EXPO)であり、国内では大阪万博以来の2回目の総合的な博覧会である。略称は、開催地の名から「愛知万博」、愛称は「愛・地球博」。1997年にモナコで開かれた博覧会国際事務局(BIE)総会でカナダのカルガリーを破り、開催地に選ばれた。
メイン会場は長久手町と豊田市を跨ぐ愛知青少年公園跡地(現在:愛・地球博記念公園)の長久手会場。博覧会協会の会長がトヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎であった事や、博覧会の企画、宣伝(プロモーション)、運営、入場券の発売などについて、地元の巨大企業であるトヨタグループの全面的な支援があったため開幕前は「トヨタ博」「トヨタ万博」ともささやかれた。また、リピーターが多かった事も特徴である。なお、入場の際に必要であった入場券には万博で初めて極薄のICチップが入ったものが採用されたりと、初の試みも多い。会場内への弁当持ち込みを禁止し来場者から苦情が出たことでも有名。
テーマ:「自然の叡智 Nature's Wisdom」
公式テーマ曲:I'll be your love(公式イメージソング、作詞・作曲:YOSHIKI、歌:DAHLIA)
キャラクター:モリゾーとキッコロ
公式キャラクターとしてモリゾーとキッコロ(モリゾー・キッコロ)が制定されている。ともに瀬戸市の海上の森に住む「森の精」という設定である。また、会場内やNHKで放映されたアニメやテレビ番組、中部電力のCMなど一部に限られるが、声もつけられている。モリコロ(公式)、モリキなどという略称がある。

メイン会場は長久手町と豊田市を跨ぐ愛知青少年公園跡地(現在:愛・地球博記念公園)の長久手会場。博覧会協会の会長がトヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎であった事や、博覧会の企画、宣伝(プロモーション)、運営、入場券の発売などについて、地元の巨大企業であるトヨタグループの全面的な支援があったため開幕前は「トヨタ博」「トヨタ万博」ともささやかれた。また、リピーターが多かった事も特徴である。なお、入場の際に必要であった入場券には万博で初めて極薄のICチップが入ったものが採用されたりと、初の試みも多い。会場内への弁当持ち込みを禁止し来場者から苦情が出たことでも有名。

テーマ:「自然の叡智 Nature's Wisdom」
公式テーマ曲:I'll be your love(公式イメージソング、作詞・作曲:YOSHIKI、歌:DAHLIA)
キャラクター:モリゾーとキッコロ
公式キャラクターとしてモリゾーとキッコロ(モリゾー・キッコロ)が制定されている。ともに瀬戸市の海上の森に住む「森の精」という設定である。また、会場内やNHKで放映されたアニメやテレビ番組、中部電力のCMなど一部に限られるが、声もつけられている。モリコロ(公式)、モリキなどという略称がある。


湾岸戦争
湾岸戦争は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、アメリカ合衆国が中心となり、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。
日本では英語の“GULF WAR”を訳した「湾岸戦争」が開戦直後に定着した。ペルシャ湾に面したクウェートが舞台になったことから名づけられたと見られ、ほとんどの国が訳語を使用している。「イラク戦争」と呼ぶ人もおり、2003年のイラク戦争を受け、こちらを第一次イラク戦争、後者を第二次イラク戦争とも呼ぶ。又、2003年のイラク戦争の事を「第二次湾岸戦争」と呼び、こちらを第一次湾岸戦争と呼ぶ人もいる。一方イラクでは、多国籍軍が30ヶ国ほどで結成されたことから「30の敵戦争」或いは「ブッシュ戦争」などと呼んでいる。
CNNなどで初めてリアルタイムで戦争が伝えられ、まるでテレビゲームのようにミサイルが正確に目標に命中する映像から、"ニンテンドー"がテレビゲーム一般の呼び名(語源は日本のテレビゲームメーカーの任天堂)となっている欧米では、「Nintendo War(任天堂戦争)」とも呼ばれた。
powered by 地図Z
1.クウェート
日本では英語の“GULF WAR”を訳した「湾岸戦争」が開戦直後に定着した。ペルシャ湾に面したクウェートが舞台になったことから名づけられたと見られ、ほとんどの国が訳語を使用している。「イラク戦争」と呼ぶ人もおり、2003年のイラク戦争を受け、こちらを第一次イラク戦争、後者を第二次イラク戦争とも呼ぶ。又、2003年のイラク戦争の事を「第二次湾岸戦争」と呼び、こちらを第一次湾岸戦争と呼ぶ人もいる。一方イラクでは、多国籍軍が30ヶ国ほどで結成されたことから「30の敵戦争」或いは「ブッシュ戦争」などと呼んでいる。
CNNなどで初めてリアルタイムで戦争が伝えられ、まるでテレビゲームのようにミサイルが正確に目標に命中する映像から、"ニンテンドー"がテレビゲーム一般の呼び名(語源は日本のテレビゲームメーカーの任天堂)となっている欧米では、「Nintendo War(任天堂戦争)」とも呼ばれた。
powered by 地図Z
1.クウェート