日本史

日本史の各出来事を地図などを使って紹介

四條畷の戦い

四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)は、南北朝時代の1348年1月5日、河内国北條(現在の大阪府四條畷市・大東市)において、南朝方の楠木正行率いる約3千騎と、足利尊氏の腹心である高師直率いる6万から8万の軍勢が戦った合戦である。

また、四條縄手という地名や、味方であった水走氏が東大阪市五条町に館があったことなどから、大阪府東大阪市の四条(縄手)付近で戦いがあったという説もある。


大きな地図で見る

1336年、楠木正成が湊川の戦いで敗死してから、楠木氏はしばらくの間鳴りを潜めていた。正成の子楠木正行が成長すると、本拠地である河内国南部で次第に力を蓄え、摂津国南部の住吉、天王寺周辺までゲリラ的に出没し、足利方を脅かすようになった。1347年9月、楠木軍は藤井寺近辺で細川顕氏を破り、11月には住吉付近で山名時氏を破った。

足利方は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに1348年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷に対峙した。

楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決した。勢いに乗った高師直は、南朝の本拠吉野(奈良県吉野郡吉野町)に攻め入り陥落させ、後村上天皇はじめ南朝は賀名生(同県五條市)に逃れた。戦後、楠木氏は楠木正儀が後を継ぐ。

「太平記」では楠木軍が少数の兵で突撃し、あと一歩で師直の首を取るところまで迫ったように描かれているが、実際には兵力の差は歴然で、楠木軍の惨敗だったようである。



四條畷神社は大阪府四條畷市にある神社である。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神とし、以下の一族の将士24人を配祀している。