張作霖爆殺事件
張作霖爆殺事件は、1928年6月4日に起きた関東軍による奉天軍閥の長張作霖の暗殺事件。奉天事件ともいわれる。当時は「満州某重大事件」と呼ばれ事件の真相は隠されていた。中国では事件現場の地名を採って「皇姑屯事件」とも言う。
1928年6月4日、蒋介石の率いる北伐軍との決戦を断念して満州へ引き上げる途上にいた張作霖の乗る特別列車が、奉天(瀋陽)近郊、皇姑屯の京奉線と満鉄線の交差地点付近を通り掛かろうとした時、線路際に仕掛けられていた黄色火薬が爆破され、張作霖は胸部に重傷を負い、数時間後奉天市内の病院で死亡、また警備、側近ら17名が死亡した。
関東軍司令部では、国民党の犯行に見せ掛けて張作霖を暗殺し、それを口実に関東軍が満州全土を軍事占領しようという謀略を、河本大作大佐が中心になり計画。河本からの指示に基づき、6月4日早朝、爆薬の準備は、朝鮮軍から関東軍に派遣されていた桐原貞寿工兵中尉の指揮する工兵隊が行った。実際の爆破の指揮は、現場付近の鉄道警備を担当する独立守備隊の東宮鉄男大尉がとった。2人は張作霖が乗っていると思われる列車の前から8両目付近を狙って、付近の小屋から爆薬に点火した。
河本らは、予め用意しておいた中国人労働者を殺害し、現場近くにその中国人2人の遺体を放置して、「犯行は蒋介石軍の便衣隊(ゲリラ)によるものである」と発表。この事件が国民党の工作隊によるものであるとの偽装工作を行っていた。
爆破事件の直接首謀者は、関東軍参謀 河本大作大佐(計画立案)、奉天独立守備隊 東宮鉄男大尉(直接担当)、朝鮮軍龍山の亀山工兵隊 桐原貞寿工兵中尉(爆弾設置工事等)。
謀略の真相は日本政府にも告げられなかったが、事件当初から、犯行は「日本軍の仕業」であるとの説が広く流布していた。驚いた日本政府は公表せず「満州某重大事件」と呼んだ。当時の日本政府は中国での紛争拡大を迎える政策を採っていた為、この事件の隠蔽に全力を上げ、関東軍の暴走を抑えにかかった。
現場調査を行った民政党代議士松村謙三なども、爆破に使用した電線が橋台から日本軍の監視所まで引き込まれていることを中国側に指摘されて、「これで完全に参った」との記述を残している(『三代回顧録』。その後、事件に関わった大陸浪人工藤鉄三郎が、小川平吉鉄道大臣に対し、犯人を河本大佐らに特定する「爆破事件の真相」なる書簡を持ち込み、日本側「特別調査委員会」でも独自に調査を行った結果、現場で発見された「中国人2人」の死体は実は日本側の工作であったことが判明した(戦前期「外務省記録」)。峯憲兵司令官も朝鮮にて桐原中尉を尋問、事件の主犯は河本大佐ら日本側軍人であるとの確証を得、その旨を田中義一首相に報告した。
1928年6月4日、蒋介石の率いる北伐軍との決戦を断念して満州へ引き上げる途上にいた張作霖の乗る特別列車が、奉天(瀋陽)近郊、皇姑屯の京奉線と満鉄線の交差地点付近を通り掛かろうとした時、線路際に仕掛けられていた黄色火薬が爆破され、張作霖は胸部に重傷を負い、数時間後奉天市内の病院で死亡、また警備、側近ら17名が死亡した。
関東軍司令部では、国民党の犯行に見せ掛けて張作霖を暗殺し、それを口実に関東軍が満州全土を軍事占領しようという謀略を、河本大作大佐が中心になり計画。河本からの指示に基づき、6月4日早朝、爆薬の準備は、朝鮮軍から関東軍に派遣されていた桐原貞寿工兵中尉の指揮する工兵隊が行った。実際の爆破の指揮は、現場付近の鉄道警備を担当する独立守備隊の東宮鉄男大尉がとった。2人は張作霖が乗っていると思われる列車の前から8両目付近を狙って、付近の小屋から爆薬に点火した。
河本らは、予め用意しておいた中国人労働者を殺害し、現場近くにその中国人2人の遺体を放置して、「犯行は蒋介石軍の便衣隊(ゲリラ)によるものである」と発表。この事件が国民党の工作隊によるものであるとの偽装工作を行っていた。
張作霖


爆破事件の直接首謀者は、関東軍参謀 河本大作大佐(計画立案)、奉天独立守備隊 東宮鉄男大尉(直接担当)、朝鮮軍龍山の亀山工兵隊 桐原貞寿工兵中尉(爆弾設置工事等)。
謀略の真相は日本政府にも告げられなかったが、事件当初から、犯行は「日本軍の仕業」であるとの説が広く流布していた。驚いた日本政府は公表せず「満州某重大事件」と呼んだ。当時の日本政府は中国での紛争拡大を迎える政策を採っていた為、この事件の隠蔽に全力を上げ、関東軍の暴走を抑えにかかった。
現場調査を行った民政党代議士松村謙三なども、爆破に使用した電線が橋台から日本軍の監視所まで引き込まれていることを中国側に指摘されて、「これで完全に参った」との記述を残している(『三代回顧録』。その後、事件に関わった大陸浪人工藤鉄三郎が、小川平吉鉄道大臣に対し、犯人を河本大佐らに特定する「爆破事件の真相」なる書簡を持ち込み、日本側「特別調査委員会」でも独自に調査を行った結果、現場で発見された「中国人2人」の死体は実は日本側の工作であったことが判明した(戦前期「外務省記録」)。峯憲兵司令官も朝鮮にて桐原中尉を尋問、事件の主犯は河本大佐ら日本側軍人であるとの確証を得、その旨を田中義一首相に報告した。
1928年皇姑屯事件

